内藤裕紀とは?ドリコム社長の経歴/年収/闘病/結婚情報を総まとめ!

  • 2022年5月18日
  • 2023年1月31日
  • 社長

内藤裕紀さんは大学生で起業して起業5年で会社を東証マザーズに上場させ、今もなお会社を成長させている現役の実業家です。会社を上場させたので、その後は順風満帆かと思いきや、上場の翌年に経営が赤字になったりご自身が病気になって闘病したりという人生を歩んでいます。今日はそんな内藤裕紀さんの経歴や年収、闘病についてご紹介いたします。

内藤裕紀とは

内藤裕紀さんは、大学時代にドリコムを創業し、27歳の時に会社を東証マザーズに上場させました。現在は株式会社ドリコムの代表取締役社長を務める人物です。

内藤裕紀さんは背が高くてすらっとしている体型なので、同業者の中では「王子」と呼ばれていて、CM出演の経験もあります。

プロフィール

  • 本名:内藤裕紀
  • 生年月日:1978年7月7日
  • 出身:東京都
  • 最終学歴:京都大学経済学部
  • 職業:実業家・株式会社ドリコム取締役社長
  • 趣味:トライアスロン

内藤裕紀さんは、一浪して京都大学経済学部に入学しています。アルバイトをして授業料を稼いで予備校に通っていました。入試までの5ヶ月のあいだは、朝起きてから夜寝るまでずっと勉強をしていたそうです。

略歴

  • 1998年:京都大学経済学部入学
  • 2000年:学生団体ドリコム設立
  • 2001年:有限会社ドリコム設立・代表取締役に就任
  • 2003年:株式会社ドリコムへ組織変更・代表取締役就任
         Dream Gateが選ぶ100人の起業家に選ばれる
  • 2004年:IT企業経営者向けコンファレンス「NILS」にて登壇
  • 2005年:株式会社ドリコムテック代表取締役就任
  • 2006年:株式会社ドリコム、東証マザーズ上場
  • 2006年:株式会社ドリコムジェネレーティッドメディア代表取締役就任
        株式会社ドリコムマーケティング取締役就任
  • 2007年:株式会社ジェイケン(現株式会社ドリコム)代表取締役就任
  • 2008年:楽天株式会社と資本・業務提携
  • 2009年:米CrowdStar社との協業を開始
  • 2011年:ギラン・バレー症候群に罹患・闘病を開始
  • 2012年:インターネット×教育 領域へ参入
  • 2014年:学生の起業支援プログラム『Startup Boarding Gate』を考案・支援
        株式会社ReDucate取締役就任
  • 2017年:株式会社BXD取締役就任
         IVS 2017 Fall Kanazawaに登壇(IVSは旧NILS)
  • 2021年:株式会社ドリコムの売り上げは118億

内藤裕紀さんは2008年に、楽天株式会社と資本・業務提携と楽天を割当先とする新株発行を行いました。ドリコムの次世代行動ターゲティング広告配信技術と楽天グループの媒体力の融合、新事業の展開が目的でした。その後は2012年に、インターネット教育に参入します。2014年にこの事業で楽天株式会社との合併会社である株式会社ReDucateを設立し、取締役に就任します。

2017年には、株式会社バンダイナムコエンターテイメントと共同出資で株式会社バンダイナムコネクサスを設立します。内藤裕紀さんは取締役に就任しますが、現在は株を売却して関係がなくなっています。

また、同年にIVS(旧NILS)に登壇し、若手起業家たちに話を行っています。13年ぶりの登壇で、内藤裕紀さん自身の失敗談や病気の話をメインに行っていました。

内藤裕紀の経歴

パソコンを使う男性の手

ここからは、内藤裕紀さんのさらに詳しい経歴をご紹介します。

大学生で団体を作り会社を設立

内藤裕紀さんは学生時代から起業を考えていたので、高校生から経済関係のシンポジウムに参加していました。その後、大学2年生の時に家庭教師ビジネスで起業しますが失敗に終わります。
その翌年には学生団体ドリコムを設立し、学生向けのベンチャービジネスコンテストで優勝しました。

2001年はまだ大学在学中ですが、ドリコムの前身となる有限会社ドリコムを仲間と共に設立します。しかし、すぐには上手くいかず、初年度の売り上げはわずか数万円だったそうです。

東証マザーズに上場

ドリコムは当時の最先端技術力を武器として、大企業を顧客とするシステム開発の事業を始めます。2003年当時はまだ登場したばかりのブログに注目し、ブログサービスを提供している法人向けにサービスの基盤なるブログシステムを提供し始めます。

ブログシステムがヒットし、ドリコムはブログシステムを提供する企業で広く知れわたり定評も得ます。その結果、経済産業省が講演している「Dream Gateが選ぶ100人の起業家」の1人として内藤裕紀さんが選ばれます。

その後もドリコムの勢いはとどまらず、2006年2月に創業からわずか5年で東証マザーズに上場します。内藤裕紀さんが27歳で会社を上場させたことや、最先端であったブログに着目し成功した点が注目され、ドリコムの上場はとても大きな話題となりました。

内藤裕紀さんが上場を目指した理由は、面白そうと思ったからだそうです。また、学生のころに10億円で買収の話もありました。しかし10億円が入ってきても面白くないなと思い、翌日に断ったそうです。

内藤裕紀さんは面白い・面白くないで判断するようです。しかし、学生のときに売らなくて正解だったと思います。会社が上場して、1ヶ月後の時価総額はなんと1,200億円になったからです。
内藤裕紀さんは会社が上場すると、自身が所有するドリコム株600株を1株あたり347万円で売り、約20億円の利益を手に入れます。

順風満帆かと思いきや…赤字経営に

会社が上場して、内藤裕紀さんの人生は順風満帆かといえば、そうではありませんでした。上場してから1年後に、会社の経営が赤字になります。内藤裕紀さんは、「会社の大きな危機を救えるのは創業者しかいない」と考え奮闘します。

会社の経費的なもので、内藤裕紀さん自身が払っても問題ないものは全て個人で払うようにし、半年間で数億円かけて会社を立て直していったのです。20億ぐらいあった貯金が30万円ぐらいになったそうです。2008年3月の売り上げは400万円で会社の経営は黒字になりましたが、それ以上に失ったお金の方が大きかったようです。

2007年~2008年ごろにスマートフォンが発売され、内藤裕紀さんはアプリ制作に力を入れ、2009年からはソーシャルゲームの可能性に注目します。ゲームやアプリにシフトして人気のゲームアプリを開発させることで、会社をより大きく成長させていきます。

ギラン・バレー症候群を発症し、闘病生活へ

会社の経営がよくなった2011年ごろ、内藤裕紀さんは病気を患ってしまいます。ギラン・バレー症候群という病気です。ギラン・バレー症候群は10万人に1人位しかかからないといわれる珍しい病気です。歌手の絢香さんがなったことで有名になり、知っている方も多いのではないでしょうか。

ギラン・バレー症候群は急性・多発性の根神経炎の1つで、筋肉を動かしている運動神経が障害され、四肢に力が入らなくなる病気です。重症化すると呼吸筋の麻痺や自律神経障害、呼吸不全に陥り、生命に関わる可能性もある病気です。死亡率は約1%、病気になって1年後も何らかの障害が残っている確率は約20%、再発は約5%とやっかいな病気です。

内藤裕紀さんの症状は初期のものでしたが、38度ぐらいの高熱がずっと続きます。それでも内藤裕紀さんは仕事を続けて、会食にも行っていたようです。しかし、高熱がでてから2週間ほどで熱は40度近くまで上がり、点滴を打たないと仕事ができなくなります。その日は株主総会でどうしても参加しなければならなく、無理矢理参加します。しかし、翌日に立って歩けなくなり、救急車で運ばれる事態となります。内藤裕紀さんはその日の夜に呼吸困難に陥るほど、症状がひどかったようです。

病気を克服し事業を再開!

その後、内藤裕紀さんは入院をしますが、無事に病気を克服して完治を果たします。再発もなく、今も元気に事業を行っています。内藤裕紀さんは病気から完治したあとに、トライアスロンに参加して長い距離を完走するほどまで元気になります。

内藤裕紀さんがどれくらい入院していたのかはわかりませんが、医者からは1年、2年は会社に戻れないと言われていたようです。死亡率はそこまで高くない病気といっても、命の危険はある病気ですから、死を身近に感じて入院中いろいろと考えたようです。そして、元気になって戻れるなら事業がしたいと考えてまた事業に専念します。

内藤裕紀さんは現在、有名なスマートフォンアプリの制作をいくつも手がけています。株式会社ドリコムの2019年の売り上げは107億円、2020年は101億円、2021年は118億円と好調です。

株式会社ドリコムとは

ドリコムのゲーム

株式会社ドリコムは、「with entertainment」をスローガンにゲーム事業・メディア事業を展開している会社です。内藤裕紀さんは2003年から現在に至って、株式会社ドリコムの代表取締役社長を務めています。

ゲーム事業では人気アニメなどのゲームアプリの企画・開発・運用を行っていて、さまざまなゲームアプリを作成しています。有名アプリ「みんゴル」は、株式会社ドリコムの代表作です。その他にも、「魔界戦記ディスガイアRPG」「アイドルマスターシャイニーカラーズ」「ダービースタリオンマスターズ」などの企画・開発に関わっています。

内藤裕紀さんはドリコム創業当時からメディア事業に力を入れ、需要があったブログサービスを始め、さまざまなインターネットサービスを開発・運用しています。

内藤裕紀の推定年収

これだけの会社を経営しているのですから、内藤裕紀さんの年収はきっと高いはず。一体いくら稼いでいるのでしょうか。

どこかで年収を明かしていたわけではないので、はっきりした年収はわかりません。ただし、株式会社ドリコムの売り上げは100億を超えています。恐らく、内藤裕紀さんの年収は1億円近い金額ではないかと予測されています。

ちなみにドリコム社員の平均年収は622万円です。ですので、これよりは高いのは確かです。それに、会社からの収益だけでなく、内藤裕紀さんは講演なども行っています。資産はほとんどが持ち株だと考えられていますが、数億円あってもおかしくないと考えられています。

内藤裕紀は結婚している?子供は?

内藤裕紀さんは結婚していて、お子さんが4人いるそうです。奥様は一般人でいつ結婚したか、顔写真などの詳細は出てきませんでした。

結婚する前の起業時の内藤裕紀さんのインタビューでは、彼女も奥さんもいない方がいいタイプと話していました。「寝ている時間以外の時間は全部仕事に費やしているので、マンガやドラマの世界でいえば、起業や仕事と私とどっちが大事なのって話にしかない。かといってパートナーを会社に引き込むかと言われれば、それはそれで大変でめんどくさいだけだと思うから、僕はいない方がいいと思うんです」と話していました。

起業するときは余裕がなく恋愛どころではなくて、そう話していたと思いますが、起業して落ち着いて考え方も変わったようで、今現在は幸せな家庭を築いているようです。

弟はお笑い芸人!

弟さんはお笑い芸人で、プロ雀士として日本のプロ麻雀連盟に所属している内藤正樹さんです。内藤正樹さんはブラックパイナーSOSというコンビを組んでいて、2022年2月に水曜日のダウンタウンに出演し話題となっていました。結成は1995年で、麻雀もあるのでお笑い一本ではなく、お笑いをメインとしていませんが、解散せずに今もまだコンビで活動しています。

まとめ

内藤裕紀さんは27歳で若くして会社を企業し、会社を上場させて、一般的に見れば順風満帆だと思っている人が大多数ではないでしょうか。しかし、実際は順風満帆とはいえず、さまざまな苦労をされてきました。その苦労を経験した内藤裕紀さんだからこそ、いま会社の売り上げを継続して出すことができているのかもしれませんね。