田中邦裕(さくらインターネット)社長の経歴が変わっている?!年収も調査

  • 2022年5月18日
  • 2023年1月31日
  • 社長

田中邦裕さんは、さくらインターネットの社長で、高専高校在学時に起業した経歴の持ち主です。大学卒業後に社長になりますが、1年で社長を辞めてしまいます。会社の経営が悪化して再び社長になり、会社を立て直して東証1部に上場させました。

本記事では、社長になっても、エンジニアの仕事がしたいと社長を辞めてしまったちょっと変わった経歴をや年収などについてご紹介します。

田中邦裕とは

田中邦裕さんは、高校在学中に起業を果たし、現在はさくらインターネット株式会社代表取締役社長を務める人物です。

また、経営者でだけでなくエンジニアとしても評価されていて、多数の協会や委員会で理事などの役員として活躍しています。インターネットや情報通信がさらなる進化を遂げるように、さらに身近になるように積極的に活動しています。

プロフィール

  • 本名:田中邦裕(たなかくにひろ)
  • 生年月日:1978年1月14日
  • 出身:大阪
  • 職業:起業家・代表取締役社長
  • 所属:さくらインターネット株式会社代表取締役社長
       特定非営利活動法人日本データセンター協会 理事長
       一般社団法人ソフトウェア 筆頭副会長
       一般社団法人日本インターネットプロバイダー協会 常任理事
       一般社団法人ブロックチェーン推進協会 副代表理事
       株式会社アイモバイル筆頭社外取締役
       独立行政法人情報処理推進機構未踏ソフトウェア創造事業プロジェクトマネジャー
  • 趣味:ダイビング

略歴

  • 1993年:舞鶴工業高等専門学校に入学
  • 1996年:高専在学中にレンタルサーバーの事業を創業
  • 1999年:さくらインターネットを設立、代表取締役社長に
  • 2000年:社長を退任、エンジニアに専念するために副社長に
  • 2005年:東証マザーズに上場
  • 2007年:会社が債務経過となり、社長に復帰
  • 2009年:会社を黒字に戻す
  • 2011年:石狩市にデータセンターを建設
  • 2015年:東証1部に上場

田中邦裕の経歴

ロボットと少年

高専高校出身・ロボコンに参加

田中邦裕さんは、はんだごてで電子工作をするのが大好きな小学生でした。父が連れて行ってくれた奈良高専でロボットを見たことがきっかけとなり、ロボットを作りたいと思いました。また、テレビでロボットコンテストを見て、高専高校に進学してロボットコンテストに出場するのが夢になります。

高校は単身で京都府舞鶴市に移住し、舞鶴工業高等専門学校に入学しました。夢に描いたようにロボットコンテストにも4回、出場しました。

このまま、ロボット作りに専念するかと思いきや、不景気で高専を卒業してからものづくりの方に進むのは難しい時期だったため断念します。

高校生で起業!卒業後社長に

田中邦裕さんは高専でロボット制御のためにコンピューターソフトを作るうちに、UNIXやインターネットと出会います。インターネットの方が楽しいと感じ、学内でサーバーを立ち上げます。

当時サーバーが1台数百万円ととても高価な時代だったため、独学で勉強してサーバーを立ち上げました。PCにオープンソースのOSをインストールしてサーバー環境を作り、学外の人にも安価に貸し出していました。

このサーバー貸し出しがうまくいき、回線の使用量が増えてきたため学校の回線でサーバー運営するのは難しくなりました。そこで、安定したサーバーを提供するために、本格的にビジネス化することを決めます。

1996年、田中邦裕さんは高専4年生のときに「さくらインターネット」を立ち上げました。学校卒業後の1998年に有限会社インフォレストを設立し、1999年にさくらインターネット株式会社を創立して代表取締役社長に就任しました。

上場を目指すも社長を退任

会社はうまくいき、300億で買いたいという人が現れるくらいに成長します。会社の上場を目標としますが、なんと田中邦裕さんは2000年に社長から退任します。会社が嫌になったわけではないため、会社自体を辞めたわけではありません。筆頭株主であったため、副社長として経営陣に残ってはいました。

辞めた理由は、「エンジニアの仕事に重きを置いていて、エンジニアの仕事がしたかったから」です。社長ですから、その他の仕事をしなければならず自分のやりたいことの折り合いをつけるべきでしたが、それができなかったので社長の座を一旦退きます。しかし、結局は経営者として会社に関わります。

2005年、田中邦裕さんが27歳のときに遂にさくらインターネットは上場します。当時、田中さんは社長ではありませんでしたが、創業者で経営陣だったため大きな話題になりました。上場したときは、経営者として関わっていて自身も嬉しかったため、勢い余って六本木などを遊び回ったと明かしています。

会社が負債を抱え、社長に戻る

会社が上場して田中邦裕さんの人生は順風満帆かと思われましたが、実際はそうではありませんでした。

会社が上場すると買収案件がたくさん来たため、売り上げを伸ばすためにどんどん買収していきます。買収先とうまく付き合うスキルがない中で、オンラインゲームや海外事業、動画配信など、さまざまなサービスを手掛けることになります。

しかし、たくさん買収した子会社が原因で、会社は債務超過に陥ってしまいます。買収した会社が相次いで赤字になり、減損になっていきました。それに加え、ハウジング専用のデータセンターも反対するのが面倒でそのまま放置していた結果、破綻してしました。

本業から考えると「ちょっと違う」ということばかりの上に、会社内にその事業を積極的にやりたいという人もいなかったので、なんとなく進んでいったのが1番の原因だと、インタビューで明かしていました。

また、ちゃんと話し合いができておらず、何かを始めるときに誰か一人でもちゃんと話を聞いて、止める人がいればこんなことにはならなかった、対立を恐れて何も言わない、批判しない状況になってしまうことが一番まずいともインタビューで話していました。

会社が債務超過に陥り、2007年に前任者が辞任して田中邦裕さんは社長に復帰します。自身の株券を引き出して担保にし、お金を借りて資金を集めました。その結果、数ヶ月で債務超過は数ヶ月で解消されました。

子会社もすべて売却することで、わずか1年半後には会社を黒字にします。黒字になっても問題はあったため、経費を削減して可能な限り外注に切り替える手段を取り、どんどん働きにくい環境になっていきました。すると、社員が辞めていき、ひどい時期は約2割の社員が会社を辞める事態にまで発展しました。

人件費が下がり、会社としての利益は増えましたが、会社自体の売り上げが上がったわけではありません。社員の満足度が減り、社員が減って、売り上げの上がらないというダメージを負ってしまいます。

東証1部に上場

2011年、田中邦裕さんはこのままではいけないと思い、「石狩データセンター」の郊外型データセンタープロジェクトを立ち上げます。都心にサーバーを集約したデータセンターを作るよりも、郊外に作った方がコストはかからないため、コスト削減の一環として取り組みました。

郊外型データセンタープロジェクトは業界内外で非常にポジティブに受け止められ、高い評価を受けます。コストカットとして立ち上げたプロジェクトでしたが、結果的に周囲からの反響がよく、チャレンジの1つとして考えられるようになったそうです。

田中邦裕さんはさらに、社員が働きやすい環境、働きがいのある環境を作ることに関心を向けます。2014年頃からは、社内手当も導入し始めました。

そして、2015年に会社は東証1部に上場します。2016年、2017年にはエンジニアを大幅に増員し、売り上げの伸び率が良くなりました。社員が働く環境も大きく改善され、今では平均の残業時間5時間程度、有休の取得も8割以上となり、社員が働きやすい会社を実現しています。

田中邦裕の現在の活動

田中邦裕の活動

田中邦裕さんが現在行っている事業やサービスのまとめです。

さくらインターネット株式会社の代表取締役社長

レンタルサーバーをメインに行っている会社で、田中さんは代表取締役社長を務めています。現在はレンタルサーバーだけでなく、情報通信を支えるインターネットサービスを多数、手がけています。

特定非営利活動法人日本データセンター協会の理事長

特定非営利活動法人日本データセンター協会は、データセンター事業者と需要データセンター関連事業者が参加しています。各事業者たちが協力してITの問題解決に取り組むことにより、IT立国の基盤を支えているデータセンターのあるべき姿の追求を目的としている協会です。

一般社団法人ソフトウェア協会の筆頭副会長

「ソフトウェアの未来を創る」をコンセプトにソフトウェア製品に携わる起業が集まり、ソフトウェア産業発展事業を通じて、日本のソフトウェア産業の発展と私たちの生活向上を目的としている一般社団法人です。一般社団法人ソフトウェア協会にはさまざまな委員会があり、田中邦裕さんはプログラム教育委員会の委員長も務めていました。2021年をもって、プログラム教育委員会は活動を終了しています。

一般社団法人日本インターネットプロバイダー協会の常任理事

主に、利用者が安全にインターネットを利用できるように・インターネット事業者共通の問題解決のために活動している協会です。インターネットに関する調査研究やインターネットの未来のための取り組みとして、フォーラムなどにも参加しています。

一般社団法人ブロックチェーン推進協会の副代表理事

一般社団法人ブロックチェーン推進協会ではブロックチェーン技術の幅広い普及と推進を行う団体です。ブロックチェーンの最新情報や基本的な知識の取得者や企画者の育成などを行っています。

株式会社アイモバイル筆頭社外取締役

アイモバイルは、顧客にインターネットを通じて、高度で安心して喜んでもらえるサービスを創り、提供している会社です。モバイル広告に確変を起こしたいという熱い創業者の熱意から、会社ができました。マーケティングを通して、人々の生活に貢献できる企業を目指しています。

独立行政法人情報処理推進機構 未踏ソフトウェア創造事業プロジェクトマネジャー

日本のIT国家戦略を技術面・人材面からサポートするために設立された独立行政法人です。経済産業省が所管官庁で、日本のソフトウェア分野における競争力の総合的な強化を図ることを目的としています。未踏ソフトウェア創造事業はIT産業の振興を目的とし、一般の開発者をIPAが支援するソフトウェア開発事業のことです。

田中邦裕の推定年収

これだけの規模の会社の社長の年収は、一体いくらなのでしょうか。田中邦裕さんの正式な年収はわかっていませんが、会社の売り上げは221億円従業員は495名ととても大きな会社に成長しています。そこから、年収8,000万円くらいはあるのではないかと考えられています。さらに、さくらインターネットだけではなく、他の活動もされているので、もっと年収が高い可能性もあります。資産のほとんどは株だと考えられていて、株だけで数百億円はあるのではと予想されています。

田中邦裕は結婚している?

田中邦裕さんは結婚していないようです。彼女がいるなどの情報などもなく、わかりませんでした。結婚願望がないかといえばそうではなく、自身も人生の折り返し地点にきて、社員の結婚式や、友人の結婚式に出席することや子どもが生まれたという報告を受けることが増えました。それを見て、幸せに暮らした方がいいと思うようになったそうです。

しかし、自身の幸せよりも「社員が幸せを感じられる企業でありたい」と考えているようです。結婚願望はあるので、近いうちに結婚する可能性があるかもしれませんね。

田中邦裕のSNS

頻繁には更新されていませんが、田中邦裕さんはTwitterをされています。Twitterの情報から、沖縄に住んでいるのがわかります。対談やインタビューなどの情報がリツイートされています。ぜひチェックしてみてください。

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まとめ

高校生で起業し、エンジニアの仕事がしたいと社長を辞めたちょっと変わった経歴がある田中邦裕さん。さまざまな活動をし、インターネットやエンジニア業界をよくしていこうと尽力されています。今後も彼の活躍に期待したいですね。