君島十和子さんとはどんな人物なのか、気になりますよね。君島十和子さんは、自身の名前を冠したコスメブランド「FELICE TOWAKO COSME」で化粧品の開発・販売をしている美容家です。君島十和子さんは優れた事業家としての顔も持っており、夫の君島誉幸(きみじま たかゆき)さんが相続で手にした会社の負債40億円を、自身が立ち上げたブランドの売上で完全返済することにも成功しています。
本記事では、崖っぷちの状況から見事復活を遂げた君島十和子さんの経歴や年収などをご紹介します。社長令嬢として生を受けた君島十和子さんは、十代をモデルとして、二十代は女優として華々しく過ごしてきましたが、結婚後の三十代は泥沼の相続問題に巻き込まれ40億の負債を抱えてどん底に落ちてしまいます。
ですが、40歳のときに立ち上げた自身の化粧品ブランドを成長させ、今では負債を抱える以前よりもセレブな生活をされています。記事内では、君島十和子さんの波乱万丈な人生を深掘りしていきます。
君島十和子のプロフィールと略歴
まずは君島十和子さんのプロフィールと略歴を見ていきます。
プロフィール
- 氏名:君島十和子(きみじま とわこ)
- 旧姓:吉川十和子
- 生年月日:1966年(昭和41年)5月30日(55歳)
- 出身:東京都豊島区
- SNSフォロワー:YouTube3万人、Instagram7万人
※2022年5月1時点
略歴
- 日本女子大学付属高等学校 卒業
- 1985年 JAL沖縄キャンペーンガールに選出
- 1986年 JJ専属モデル
- 1988年 NHKドラマ「新橋烏森口青春篇」にて女優デビュー
- 1995年 君島明(現:誉幸)と結婚、芸能界引退
- 1997年 長女出産
- 2001年 次女出産
- 2005年 スキンケアブランド「FTC(FELICE TOWAKO COSME)」設立
- 2022年 FTCクリエイティブ・ディレクターを担当
君島十和子さんは、紫外線から肌を守るUVクリームなどを中心にスキンケア化粧品を開発している「FELICE TOWAKO COSME」のクリエイティブ・ディレクターをしています。ブランド名にTOWAKOと自身の名前が入っている通り、自身が開発するすべての商品を自身の肌で効果を確かめながら世に送り出しており、確かな効果を実感できるものを販売することで、多くの女性の支持を獲得しています。
二十代は日焼けした小麦色の肌が特徴的な美少女として芸能界で活躍しましたが、その影響から乾燥肌やシミ、シワなどの肌トラブルに早くから悩む君島十和子さん。その後、試行錯誤しながら自身の肌を見事に復活させ、「洗う、整える、うるおす、守る」を徹底することの重要性を実体験として痛感したそうです。
その経験を活かして立ち上げられた化粧品がFELICE TOWAKO COSMEの商品です。今では全国に数十万人というファンがいらっしゃるようで、30代~50代女性の美のカリスマとして活躍されています。
君島十和子の年収
君島十和子さんの年収は、現在3億円ほどではないかと推測されます。2013年の時点で株式会社FTCの年商が13億円あったということで、オーナーでもありますから売上の10%を収入として受け取っていたとすると当時すでに年収1億円を超えていることになります。
また、2019年にはマーケティング会社のコンサルティングを導入してECにも力を入れており、新規獲得3倍・LTV(お客さんが生涯で支払ってくれる金額)4倍という実績を出し、さらにビジネスを成長させているようです。
2022年現在では、ECの売上が8割、卸での売上が2割ということで、2割の部分が10億円とすると8割の部分は40億円になるので、少なくとも50億円近い売上があると予想できます。その10%弱の収入を得ているとすると、年収は3億円になります。
ちなみにお住まいは東京都渋谷区代々木に位置する「グロブナープレイス神園町」という日本三大高級マンションに数えられる場所にご自宅があるようです。広さは180㎡~300㎡で賃料も200万円~300万円ほどするそうです。年収3億円なら月にして2,500万円ほどですから、それほど負担にならず相応な金額なのかもしれません。なお、表参道の本社からも徒歩10分とかなり近いので、仕事もしやすい住環境のようですね。
君島十和子の経歴
ここからは、君島十和子さんの経歴について詳しく見ていきましょう。
社長令嬢として育ち芸能界でも華麗な経歴を積み上げる
君島十和子さんは、父親は経営者、小・中・高と私立女子高に通い、ヴァイオリンをならうなど、社長令嬢として裕福な家庭に育ちました。幼少の頃に連れて行ってもらった宝塚歌劇団の「ベルサイユのばら」に感激するような感性をもった少女だったようです。
美貌にも恵まれた君島十和子さんは、旧姓である吉川とわ子として中学生から雑誌のモデルとして芸能界デビューを果たします。高校生のときに雑誌「セブンティーン」のモデルとして登場すると、1985年の高3の年にJALの沖縄キャンペーンガールに抜擢され、当時ブームであった健康的な小麦肌に身を包んだ姿が話題となりました。
1988年22歳のときにはNHK小説で女優デビューを果たし、「極道の妻たち」や「ゴジラ」「銭形平次」「十津川警部」「金田一耕助」など数々の名作にも出演するような人気女優としての道を突き進みます。
芸能界で大活躍する真っ只中で御曹司とスピード結婚
順風満帆に芸能活動を続けてきた君島十和子さんですが、1995年29歳という女優としても熟達していた時期に、突如として結婚・芸能界引退に踏み切ります。お相手はパリの社交界や日本の皇族御用達のファッションブランド「KIMIJIMA」の御曹司である君島明(現:誉幸)さんです。
君島明さんは元々皮膚科の専門医として活躍されていましたが、「KIMIJIMA」の創業者である父・君島一郎の元、副社長として日々一郎のデザインセンスを学んでいたようです。十和子さんとの出会いはブライダルプロジェクトのモデルを探していたときに雑誌社から紹介されたことがキッカケだったようです。
始めの印象はお互い意識をしない仲だったそうですが、打ち合わせや採寸で時間をすごすことで徐々に惹かれるようになり、十和子さんの29歳の誕生日に初めてデートをすると、翌月には明さんの方からプロポーズをし、見事ゴールイン。過ごした時間はある程度あったものの、初デートからたった1ヶ月でのスピード婚になりました。
当時大活躍していた女優と日本を代表するファッションブランドの御曹司との結婚ですから、年末に結婚記者会見をするほど世間に注目される婚約発表となりました。ですが、世間をあっと言わせるスキャンダルが、会見直後に発覚してしまいます。
スキャンダルで1年後には経営ブランドが全壊
スキャンダルが発覚したのは会見の2日後です。1つは、君島明さんが実は君島一郎さんの愛人の息子であったこと。もう1つは君島明さん自身にも愛人との子供がいたことです。
君島明さん自身に十和子さん以外の女性との子がいたことは、そこまで大きな事態になることはありませんでした。理由としては、婚約をする以前から子供がいることを打ち明けていたそうで、十和子さんはそれを受け入れた上での決断であったため、結婚生活はそのまま続くことになります。ですが、君島明さんが父・一郎さんの愛人の子であるスキャンダルの方は、家族関係が泥沼化する大きな火種となってしまいました。
連日のスキャンダルにも関わらず、二人が強硬に婚約に踏み切ると、KIMIJIMAのブランドイメージが悪化し次々に店舗閉鎖に追い込まれていきます。さらに、スキャンダル発覚の翌年1996年には心筋梗塞からKIMIJIMA創業者の君島一郎氏が急逝してしまい、事態はますます悪化の一途を辿ります。
一郎氏には本妻との息子である立洋(たつひろ:正妻との子であり兄)さんがいたのですが、明さんの前に副社長に就任するも半年で辞めてしまい、以降代わりに明さんが務めていたこともあり、遺言状では君島明さんに事業を譲る旨の記載があったようです。
事業を譲り受けた明さんは、一郎氏の本妻である君島由希子さんを解雇するのですが、由希子さんは解雇直後に自身のブランド「YUKIKO KIMIJIMA」を息子の立洋さんと立ち上げます。一郎氏とKIMIJIMAブランドを一緒に立ち上げた元々の経緯もあり、正当なKIMIJIMAブランドとしてお客さんは新ブランドに取られてしまい、周囲も驚くほどのスピードで廃業することになりました。
株や不動産などプラスの資産は立洋さんと半々に分割したそうですが、事業に係わるマイナスの資産はすべて明さんが背負うことになり、総額40億円の負債を抱えることになります。
自身の名を冠したコスメブランドでの逆転劇
スキャンダルの翌年からは銀行への返済遅延、本社ビル差し押さえ、従業員からの訴訟などで瞬く間にKIMIJIMAブランドは崩壊し、2000年代にはすべての店舗が閉店してしまい、負債だけが残ります。それでも十和子さんは諦めませんでした。
2005年に、夫で元皮膚科医の誉幸(たかゆき)さんとコスメブランド「FTC」を立ち上げます。自身の肌トラブルの経験から十和子さんが製造から販売まですべての工程に携わるスタイルでこだわりの独自コスメを作り上げます。
第一弾の商品として発売した紫外線予防と肌ケアを融合した「UVパーフェクトクリーム」が大ヒット。その後も十和子さん自ら商品の広告塔としてメディア露出を増やすなどしてファンを集め、TVショッピングでの宣伝や会員制度を導入するなど顧客を全国に広げていき、10年後の2014年には年商14億円の企業にまで成長させました。その頃には誉幸さんが一郎氏より相続した40億円の負債は完済していたようです。
また、2015年からはネット販売にも力をいれ、2019年に発売した定期購入商品の「ラメラゲルスーパーモイスチャー」が大ヒットします。新規顧客獲得数が以前の3倍にまで膨れ上がり、業績も一気に鰻登りに上昇していきます。
君島十和子の展開している事業
君島十和子さんが展開している事業をご紹介します。
FTC
君島十和子さんのメイン事業は、コスメブランド「FELICE TOWAKO COSME」での化粧品開発・販売です。立ち上げ当初は君島十和子さんのファンによる購入やテレビショッピングなどでの販売が主な販路でした。
ですが、2019年にECでの定期購入商品の販売を開始してからは、売上の8割がECからによるものに変化しているそうで、必ずしも君島十和子さんのファンでなくてもクチコミやSNSから購入してくれるお客さんが増えているようです。
FELICEとはイタリア語で「幸せ」という意味があり、素肌美を通して幸せを感じてもらいたい想いが込められているそうです。自身も肌トラブルを解決し幸せを感じられるようになった経験が裏打ちするように、君島十和子さんが手掛ける化粧品は、使い心地や効果の良さを実感できている人が多いようです。
また、FTCの代表は十和子さんの夫である君島誉幸(きみじま たかゆき)さんが務めています。誉幸さんは元皮膚科医でしたので、皮膚のプロフェッショナルです。十和子さんと誉幸さんの二人三脚で育てることで、宣伝だけでない中身のともなった化粧品づくりができているのでしょう。
君島十和子のSNS
最近では、YouTubeやInstagramなどのSNS発信にも積極的に取り組んでおり、50歳を過ぎてもなお圧倒的な美貌を保つ姿で以前にも増して注目度が高まっています。
また、長女が宝塚歌劇団の娘役として活躍されており、公私共に充実した日々を送っているように見受けられます。
まとめ
幼少からセレブ令嬢として育ったにも関わらず結婚を機に40億円の負債を抱え、それでも自ら化粧品ブランドを立ち上げ見事どん底生活からの大逆転を演じた君島十和子さんをご紹介しました。
二十代のときに日焼けでボロボロだった肌を努力と研究で見事に改善し、55歳とは思えないほどの美貌を保ち続けています。近年ではネットマーケティングやSNSにも力を入れており、まだまだ現役で前線を走り続ける君島十和子さん。今後もその美の秘訣を惜しげもなく広げていってくれそうですね。