高岡浩三さんは、ネスレ日本株式会社の元代表取締役社長兼CEOです。
これまで外国人社長が通例だったネスレ日本で、初の日本人社長に就任。 優れたマーケティング戦略でネスレ日本を急成長させた人物です。最近では、ジャニーズ問題についての言及で話題になりました。
今回は高岡浩三さんのプロフィールや経歴とともに、常識を打ち破った改革、マーケティング戦略や人材育成方法をご紹介します。
・高岡浩三さんのプロフィールと経歴
・高岡浩三さんが実行した改革やマーケティング戦略
・社員をやる気にさせる育成術
・ジャニーズ問題で指摘した日本企業の問題
高岡浩三のプロフィール
高岡浩三さんのプロフィールをご紹介します。
- 名前:高岡浩三(たかおか こうぞう)
- 生年月日:1960年3月30日
- 出生地:大阪府堺市
- 現在の居住地:兵庫県神戸市
- 家族:妻、娘2人の4人家族
- 学歴:神戸大学経営学部 卒業
- 肩書き:ケイアンドカンパニー株式会社代表取締役、元ネスレ日本代表取締役社長兼CEO
高岡浩三の経歴
高岡浩三さんの経歴をご紹介します。
学生時代
高岡浩三さんは1960年に大阪府堺市で生まれ、一般的なサラリーマン家庭で育ちました。
幸せな日々を送っていましたが、ある日転機が訪れます。
父親ががんを患い、42歳という若さで亡くなったのです。父親の命日は、奇しくも高岡浩三さんの11歳の誕生日でした。
さらに父親の葬儀の夜に、母親から祖父も父親と同じく42歳で亡くなっていたことを聞かされます。その時から「自分の人生も42歳で終わるのかもしれない」と考えるようになりました。
「自分に残された時間は少ないのでは」と思い、若くても実力次第で大きな仕事が出来る外資系企業で働くことを目指しました。
ネスレ日本に入社
神戸大学卒業後にネスレ日本に入社。営業本部東京支店に配属され、主にマーケティングや商品開発を担当します。
そして各種ブランドマネージャーを経て、30歳でネスレ日本史上最年少部長に昇格しました。
キットカットの責任者に任命される
41歳の時に、スイス本社から「キットカット」の責任者を任命されますが、そこには思わぬ難題がありました。
その難題とは、通常「5年後に売上利益105%を目指す」といった目標が一般的なところを「キットカットの売上利益を5年後に500%(5倍)にしろ」というものでした。
しかし、この難題を高岡浩三さんは見事に達成させたのです。
どのような戦略で達成させたかは、『高岡浩三が成功させたマーケティング2つを紹介』で紹介します。
ネスレ日本の社長に就任
高岡浩三さんは数々のイノベーションが評価され、2010年50歳でネスレ日本初の日本人社長に就任。
2016年のネスレ150周年の記念式典の際には、世界で最もイノベーションを起こした国として「ジャパンミラクル」と表彰されました。
現在は社長を退任
2020年に社長を退任後は、ネスレ時代に構築したイノベーション創出のノウハウを日本に広げることをセカンドキャリアに選択。
現在は、サイバーエージェントの取締役やケイアンドカンパニーの代表として、様々な企業や団体にビジネス・プロデュースのアドバイスを提供しています。
ネスレ日本ってどんな会社?
ネスレ日本はスイスに本社を置く外資系企業です。主に食品と飲料を手がけており、ペット事業や健康食品も販売しています。
私たちに馴染みがある商品として、「ネスカフェ」や「キットカット」があります。その他にも「ミロ」「マギーブイヨン」「ピュリナ」など様々なブランドを展開しています。
ネスレ日本の会社概要
- 会社名:ネスレ日本株式会社
- 創業:1913(大正2)年4月
- 設立:1933(昭和8)年6月
- 資本金:40億円(ネスレ日本株式会社)
- 代表者:深谷龍彦 代表取締役社長兼CEO
- 所在地:(神戸本社)〒651-0087 神戸市中央区御幸通7-1-15ネスレハウス
(東京コマーシャルオフィス)〒140-0002 東京都品川区東品川2-2-20天王洲オーシャンスクエア - 社員数(2022年12月時点):約2,400人 (グループ各社社員含む)
- 事業内容:飲料、食料品、菓子、ペットフード等の製造・販売
- グループ会社:ネスレネスプレッソ株式会社
高岡浩三の常識を打ち破る改革とは?
ここでは、高岡浩三さんが行ってきた常識を打ち破る改革を2つご紹介します。
改革①:ブランドイメージ刷新のためにインスタントコーヒー協会を退会
ネスレが販売しているコーヒーは、「レギュラーソリュブルコーヒー」です。「インスタントコーヒー」だと思っている方も多いのではないでしょうか。
もともとネスレのコーヒーはインスタントコーヒーとして販売されていました。しかし、レギュラーコーヒーが普及していくにつれて、インスタントコーヒーは安価なイメージを持たれるようになります。
そこで、高岡浩三さんはネスカフェの製造技術と販売戦略を大幅に変更。インスタントコーヒーに終止符を打ち、レギュラーソリュブルコーヒー(挽き豆包み製法)として販売を開始しました。
高岡浩三さんはインスタントコーヒー協会の会長を務めていましたが、同協会を退会。
レギュラーコーヒーでもなく、インスタントコーヒーでもない新たな製法を確立させました。
改革②:利益率10%でも、将来性がなければ即撤退
高岡浩三さんが社長に就任して、撤退した事業として「缶コーヒー事業」があります。
撤退した理由として、自販機の売上がコンビニの成長で右肩下りの状態だったからです。そして、より成長の見込める「ネスカフェアンバサダー」に注力しました。詳しくは次章『高岡浩三が成功させたマーケティング2つを紹介』をご覧ください。
一般的に、利益率10%を上げる事業は優秀だと考えられていますが、高岡浩三さんの視点は違います。事業を続けていくためには、継続的な投資が必要であり、売上規模が減少していく業界は、いずれ利益も縮小していくと考えます。
利益率が下がってから撤退を決断しても手遅れで、事業を売却するとしても収益性が低ければ高い価格で売却できないと語ります。
高岡浩三が成功させたマーケティング2つを紹介
高岡浩三さんは、マーケティングにおいて、宣伝をするのではなく、静かに広げることが大事だと語ります。
ただ「モノを売る」のではなく、顧客の心を読み、顧客の心の中にある穴を埋めることで売上に繋げていきました。
この章では高岡浩三さんが成功させたマーケティング内容2つを紹介します。
受験生の「不安」に寄り添ったキットカット
高岡浩三さんは41歳の時に、スイス本社から「キットカット」の責任者に任命されます。
その時に言われたミッションは「キットカットの売上利益を5年間で5倍にすること」でした。
当時のキットカットは、母親がスーパーで買ってきたものを中高生が家で食べるという構図でした。そこでメインターゲットを中高生に絞ってマーケティングを展開していこうと方向性を固めます。
ちょうどその頃、九州支店の支店長から「九州では毎年1月と2月にキットカットがよく売れる」と連絡が入ります。
調査してみると、受験生を持つ親御さんが買っていることがわかりました。
九州の方言では「きっと勝つ」を「きっと、勝っとぉ」と発音します。この響きが「キットカット」に似ていることが理由でした。
この理由を突き止めた高岡浩三さんは、全国の予備校にキットカットを置いてもらいます。
しかし、1年経っても全く売れませんでした。
ここで突破口となったのが、自身の経験でした。大学受験の時にホテルに1人で泊まり、心細くて不安だったことを思い出します。
そこで、東京の100軒以上のホテルを回り、宿泊している受験生に受験当日にキットカットを渡して欲しいと交渉します。しかし、首を縦に振るホテルは少なく、たった2軒(新宿の京王プラザホテル・新宿ワシントンホテル)のみが同意し、2001年にこの2軒と連携してサービスを開始しました。
サービス内容は、朝ホテルを出発する受験生にフロント係がキットカットとともに「頑張ってください」と応援メッセージを伝えるというものでした。
サービスを開始すると口コミが一気に広がり、翌年には賛同するホテルが急増し、一大ブームとなりました。そして次第に、受験=キットカットというイメージが世間に浸透していきます。
この結果、スイス本社から言われたミッションである「5年で売上利益5倍」を4年で達成させました。
顧客の「自己実現」を後押ししたネスカフェアンバサダー
高岡浩三さんがネスレ日本の社長に就任時、「ネスカフェ」の家庭向けコーヒー市場のシェアは70%ありました。
しかし、家庭外コーヒー市場のシェアは3%しかなかったため、家庭向けコーヒー市場の残り30%のシェアを狙うよりも、家庭外の市場をターゲットにすることを考えます。
そこで狙った市場が「オフィス」でした。
オフィスのコーヒーは飲みたい人が自己負担で買うのがほとんどです。
ビジネスパーソンに淹れたての美味しいコーヒーを安く提供するところにビジネスチャンスがあるのではと考えたのです。
そして導入したのが「ネスカフェアンバサダー」です。
ネスカフェアンバサダーの仕組み
ここで、ネスカフェアンバサダーの仕組みをご紹介します。
アンバサダーになりたい人がネスレ日本に申し込むことで、申込者の会社に、ネスレ日本からコーヒーマシンが無料で届きます。(定期便でコーヒーなどの商品を購入することが、マシン無料の条件となっています)
アンバサダーはマシンを職場に設置し、職場でルールを作って集金をします。コーヒーの在庫を見ながら集めたお金で、また次の商品を購入します。
このような環境で、アンバサダーにはコーヒーを飲んだ人から「おいしいコーヒーをありがとう」という声が寄せられるようになります。
人間の心の奥底には、人からよく思われたい、人の役に立ちたいという思いがあります。
ネスカフェアンバサダーは、まさにこの思いを実現させる仕組みとなり、多くのオフィスに広がっていきました。
高岡浩三の「人の育て方」を紹介
高岡浩三さんは稼ぐためのイノベーティブな人材を育てる仕組みも確立してきました。
この章では、高岡浩三流の人材育成術をご紹介します。
変わり者の能力を伸ばす「イノベーションアワード」
日本では、上からの指示をソツなくこなす人が評価され、出世していく風潮が未だに根強くあるのが現状です。
逆に「変わり者」たちは煙たがられて低い評価を受けることがあります。
高岡浩三さんは、このような状況は「言われたことしか出来ない人を増やし、イノベーションが生まれなくなる」と懸念します。
そこで導入した制度が「イノベーションアワード」です。
イノベーションアワードは、年に1度、全社員からアイデアを募集するものです。アイデアのみを募集するのではなく、アイデアを実行し、その成果を応募するため、単なるコンテストに終わらせない特徴があります。
企画を発案し、周りを巻き込んで実現していく中で、リーダーとしての能力が培われていくことも狙いとしています。
試験と面接だけで判断せず、実際のアウトプットを重視
高岡浩三さんが、イノベーティブな人材を確保するために導入したのが「ネスレパス」という仕組みです。
ネスレパスを取得するためのコースが2種類用意されており、入社を希望する人は自由に選べるようになっています。
ネスレパスを取得した人は、ネスレチャレンジプログラムという研修に参加し、研修で高い評価を得た人だけが最終面接に進むことができます。
この仕組みを取り入れたことで、ネスレと相思相愛になった人材が入社するようになり、さらにイノベーションが加速するようになりました。
高岡浩三がジャニーズ問題から見た日本企業の問題点
高岡浩三さんは、ジャニーズ性加害問題について「ネスレ日本社長時代は、ガバナンスの観点からジャニーズのタレントをCMや販促に利用しなかった」と発信したことから、世間から「違いがわかる男」と言われ、話題になりました。
高岡浩三さんがこの発信で1番伝えたいのは「根本的に日本企業のガバナンスは機能不全に陥っているということ」です。
ジャニーズ問題は数十年前からメディア関係者は誰もが知っていたにも関わらず、「見て見ぬふり」をしてきました。これは、広告収入という売上至上主義が企業のガバナンスよりも圧倒的に優先されてしまっていたことが原因です。
高岡浩三さんは、これらの問題はジャニーズだけに限った話ではないと言います。
ビッグモーター社の問題も、「見て見ぬふり」がまかり通っていました。
日本企業全体のガバナンスレベルを上げていかない限り、これらの問題は解決されないと語ります。
まとめ
当記事では、ネスレ日本初の日本人社長となった高岡浩三さんについてご紹介しました。
高岡浩三さんは、42歳で亡くなった父と祖父から影響を受け、「最短で結果を出し続けるためにはどうすれば良いのか」を考え続けてきました。
大きなイノベーションを起こすために最も必要なことは「顧客が気づいていない問題を発見して解決していくこと」だと語ります。
数々のイノベーションを起こした高岡浩三さんの戦略からは、学べることが多くあります。
この記事が少しでも参考になれば幸いです。