藤崎忍の経歴!学歴/夫/109&居酒屋時代/ドムドムでの活躍を調査

  • 2023年9月5日
  • 2023年11月21日
  • 社長

藤崎忍さんは株式会社ドムドムフードサービスの代表取締役社長です。
2021年にテレビ朝日「激レアさんを連れてきた。」に出演され、広く認知されるようになりました。
藤崎忍さんは短大卒業と同時に結婚し、39歳までは専業主婦で就業経験はありませんでした。
39歳の時にあるきっかけで家計を支えなければならなくなり、初めて働き始めます。そこから日本初のハンバーガーチェーンであるドムドムハンバーガーの社長に就任されるまでの物語や人との付き合い方には、学べることが多くあります。

今回は、藤崎忍さんのプロフィールや経歴とともに、39歳まで専業主婦だった女性が社長となった「思いやり経営戦略」について、詳しくご紹介します。

この記事でわかること

・藤崎忍さんのプロフィールと経歴
・ドムドムハンバーガーの低迷と現在
・藤崎忍さんの「思いやり」経営戦略とは

藤崎忍のプロフィール

藤崎忍の顔画像
  • 名前:藤崎 忍(旧姓:山本)
  • 生年月日:1966年7月21日(現在57歳 2023年9月時点)
  • 肩書き:株式会社ドムドムフードサービス代表取締役社長
  • 出生地:東京都墨田区
  • 現在の居住地:同上
  • 兄弟:4人(兄2人、妹1人)
  • 出身校:青山学院女子短期大学(初等部より青山学院)
  • 元職場:渋谷109 6階『MANA』(現在は閉店)、ニュー新橋ビル地下1階居酒屋
  • 経営していた居酒屋:ニュー新橋ビル地下1階『そらき』
  • 夫:藤崎繁武(選挙用通称:よしのり)(元墨田区議会議員)
  • 息子:藤崎剛暉(墨田区議会議員)
  • 父:山本賢太郎(元東京都議会議員)

藤崎忍さんは、東京都墨田区で生まれ育ち、現在も墨田区にお住まいです。
著書の『ドムドムの逆襲』でもご自身のことを「根っからの筋金入りの下町っ子」とおっしゃっています。

ドムドムの逆襲
Amazonより

母方の祖父が千葉から墨田区に移り住み、せんべい店と不動産業、損害保険の代理店を創業し、これらの家業に加え、祖父の代から地方政治家を始めます。
地元に根付いた仕事をされる家庭環境の中で、自然と人付き合いを学んでいったのでした。

藤崎忍の経歴

藤崎忍の経歴

ここからは藤崎忍さんの経歴をご紹介します。
それぞれの人生の場面で人との出会いと経験を経て、ドムドムハンバーガーの社長にまでステップアップされていく姿には、学べることが多くありますので参考にしていただけると幸いです。

出生から短大卒業まで

東京都墨田区で家業と地方政治家を行う家庭に長女として生まれます。(兄が2人います)
藤崎忍さんの人づきあいや商売の原点は、この家庭で育ったことが大いに関係しています。自宅は人の出入りが多く、様々な人と関わる中で、人の名前と顔を覚えることが得意になりました。また、家族みんなで家事や仕事をサポートし合う力が自然と身についていきます。

小学校から短大までは、青山学院に通いました。2人のお兄さんも青学生です。同級生は山の手育ちの子が多く、下町っ子との見えない壁を感じていました。
しかし、その壁は高校時代に始めたハンドボールで消え去ります。毎日全力でスポーツに打ち込む中で、本当の仲間が出来ます。
ハンドボール部ではキャプテンを任され、この頃の経験や友情は一生の宝となりました。

「女の子は下宿させたくない」という両親の言葉と、「早く結婚しちゃえば良いか」という本人の思いが重なり、青山学院女子短期大学へ内部進学。
そして短大入学後に、墨田区議選への出馬を決意して父親の元へ出入りしていた繁武さんと出会います。繁武さんは、後の旦那さんです。

結婚、専業主婦時代

藤崎忍さんが短大を卒業後の1987年に、繁武さんは墨田区議会議員に当選。
2人は結婚し、1990年にひとり息子の剛暉(こうき)さんを出産します。

その後は主婦業と政治家の妻として、繁武さんのサポートする日々を過ごします。
繁武さんは、墨田区議会議員を5期務め、05年夏に東京都議会議員に立候補しますが、残念ながら落選。諦めずに次の選挙に向けて挑戦を開始しますが、ある日心筋梗塞で倒れます。一命は取り留めましたが、しばらくは治療に専念する必要がありました。

そして、当時39歳だった藤崎忍さんは職探しを始めます。

39歳で初めての職探し

39年間、就職したことがなかった藤崎忍さんは伝手(つて)を頼ろうと、友人たちに「どこか良い就職先があったら紹介してほしい」と相談します。
すると、青学時代の友人から「母が経営している渋谷109のアパレルショップで働いてみないか」と誘いを受けます。

アパレルショップで雇われ店長として働き始め、自分なりにその日に感じたことや問題点を洗い出し、ひとつずつ改善していきます。ちなみに、一番最初に取り組んだことは、「店内を清潔にすること」と「スタッフを礼儀正しい人に絞ること」でした。その他にも時間帯での売上の把握や商品ラインやディスプレイの変更など、改善を繰り返すことで売上を伸ばしていきます。

この店舗で出会った若いスタッフには、狭い世界で凝り固まった「人はこうあるべき」という概念を、良い意味で壊してもらえ、次のステップにも活かされていきます。

アパレル店長から飲食業界へ

夫の繁武さんは、2009年夏の都議選での再起を懸けて選挙活動を本格化させていましたが、脳梗塞を発症し、左半身が不自由になり、都議選は諦めざるを得ない状況となります。

そして2010年9月末、オーナーの経営方針が変わり、藤崎忍さんはアパレル店長を退職することいになりました。休む暇なく次の職を探して、見つけたのが新橋にある居酒屋でのアルバイトでした。
小さい頃から料理が得意で、且つアパレル店の経営に携わったことで「いつか自分の店を持ちたい」と思うようになっていたことが決め手でした。

夜の時間帯の厨房担当で、時給は1,200円。どんなに頑張っても時給が上がる訳ではないものの、来店客の反応と売上の比例が楽しく、自分なりに仕事を工夫していく中で常連客がついていきます。

そして働き始めて5ヶ月目の2011年2月に、同じフロアの斜め前に空き店舗が出来てテナントを募集し始めたことで、その後の人生は大きく変わっていきます。
常連客から「自分の店をやってみたら?」と言われ、自身で事業計画書を作成して資金を準備し、ついに店舗を経営し始めたのです。

ドムドムフードサービスへ入社。入社からわずか9ヶ月で社長就任

2011年2月に自身の居酒屋『そらき』を開業。『そらき』は、1年経たずに予約必須の人気店となりました。

藤崎忍さんは繁武さんが亡くなった2015年12月まで、介護と仕事を両立します。多忙な日々でありながらも、「家計だけでなく精神的にも、仕事の存在には助けられた」と語っています。

そして2017年5月、常連客の一人であったレンブラントホールディングス(ドムドムフードサービスの親会社)の専務から「ドムドムハンバーガーでの商品開発に協力してほしい」と声をかけられます。
当初は顧問契約でしたが、2017年11月に社員として入社し、入社から9ヶ月後の2018年8月に社長に就任します。

実は日本初!ハンバーガーチェーン店のドムドム

ドムドムハンバーガー
ドムドムハンバーガーの公式より

ハンバーガーチェーン店といえば、「マクドナルド」や「モスバーガー」をイメージする方が多いのではないでしょうか。実は、藤崎忍さんが入社した『ドムドムハンバーガー』は、日本初のハンバーガーチェーン店です。

ドムドムハンバーガーは、1970年に東京町田市に第1号店をオープンしました。(マクドナルドの日本上陸は1971年)ドムドムは、最盛期の90年代には国内に400店舗近くを出店していました。
しかし、現在は27店舗と最盛期の10分の1以下となり、「絶滅危惧種」と言われています。

なぜ急激に店舗数が激減したのでしょうか。
ドムドムハンバーガーは、もともとダイエーの完全子会社の株式会社オレンジフードコートが運営していたため、ダイエーのフードコートに出店するスタイルを基本としていました。
しかし、ダイエーの経営不振による多数の閉店により、ドムドムも撤退するケースが続出しました。

その後、2017年5月にドムドムはレンブラントホールディングスの子会社となります。
藤崎忍さんがドムドムに関わったのは、レンブラントホールディングスの子会社となってからでした。

ドムドム社長就任後の改革!藤崎忍が大切にしている「思いやり」経営戦略とは

思いやり

藤崎忍さんはドムドムに入社後、あまりのマイナス額の決算数字や風通しの悪い職場環境に危機感を感じます。そして、親会社の専務に「私を意見を言える立場にしてください」と直談判し、粘り強く改善案を提案し続けます。
その結果、2018年8月に社長に就任します。

ここからは、藤崎忍さんがドムドムの社長に就任してからの改革や大切にしている考えを紹介します。

社内の風通しを良く、現場の声を聞く

藤崎忍さんが社長就任後に最初に取り組んだのは「スタッフとの信頼関係の構築」でした。
これは、自身がドムドムに入社後に感じていた点でした。
顧客と接する店舗スタッフの声が経営陣まで届き、本社の方針が店舗の隅々までわかりやすく伝わる状態にすることが最優先だと感じたためです。

さらに意見を伝える際は、相手を思いやりながら声かけをすることを心がけました。
会議のあり方も、ただ数字を発表することをやめ、立場を超えて自由に、しかも笑いが出るような雰囲気を作りあげていきます。

ポイントは小さな成功体験の連続と自由さ

藤崎忍さんは「高い目標をみんなで追う」のではなく、一つひとつのハードルを低くして、みんなが一緒に乗り越えられる高さにすることを大切にしています。
そうすることで、ハードルを超える度にみんなの心がひとつになっていくためです。

また、自分らしさを押し付けないようにも意識しています。個人の個性を大切にしながら、同じ目的に向かって歩んでいく職場をつくる工夫をしています。
この意識は、渋谷109のアパレル店長時代に世代が離れた若者と働いたことが土台となっています。

藤崎忍がドムドムの社長に就任してからの逆転劇

最後に藤崎忍さんがドムドムの社長就任後に経営をV字回復させた活躍を紹介します。

社内は大反対のイベントでの出店で完売続出

藤崎忍さんが社長に就任して間もない2018年10月に幕張メッセでのイベント参加の打診を受けます。
出店費用がかかることや多くのスタッフを集める必要性から社内は大反対しますが、藤崎さんは粘り強く交渉して参加を勝ち取ります。

結果は2日間で販売予定の2倍を売るという大盛況ぶりでした。

イベントに参加したことで、ドムドムがみんなに愛されていることを実感したとともに、SNSの持つ力にも気付き、その後も様々なイベントに出店し大成功をおさめます。

個性的でインパクト大のハンバーガーが大ヒットに

まるごとカニバーガー
ドムドムハンバーガー公式より

ドムドムハンバーガーと聞くと「丸ごと!!カニバーガー」のビジュアルを思い浮かべる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

藤崎忍さんが社長就任後、定期的に新メニューは発売していたものの、大ヒットに至る商品は生まれていませんでした。

当時商品開発を担当していた浅田さんからの「ソフトシェルクラブ(脱皮したての軟らかいカニ)を使ってみては」の提案に二つ返事でGOサインを出します。
しかし、試作品の段階では、見た目や原価率の面から反対の意見が多い状況でした。
そのような状況でも、藤崎忍さんは何度も食べたいと思える美味しさと見た目のシュールさにヒットの予感を感じていました。

そこでイベントで先行販売を行います。するとSNSで話題となり、正式発売での成功を確信。結果、大ヒット大バズりの商品となりました。

アパレルブランドとのコラボ商品やグッズのネット販売

SNSで話題になることで、新たなイベントやコラボにも繋がっていきます。
アパレルブランドとのコラボもそのひとつです。

ここでも社内では「ハンバーガー屋が洋服をつくってどうする」と反対意見が大多数となります。
しかし、藤崎忍さんはリスクの先にある消費者へのブランド認知拡大を想像し、経営陣を説得します

コロナ禍でスタッフのためにつくったマスクが話題となり、店舗の密を避けるべく、ECショップを立ち上げると1分で完売、生産が追いつかなくなるほどのヒットとなりました。

まとめ

当記事では、39歳まで専業主婦だった藤崎忍さんがドムドムハンバーガーの社長になるまでの経歴や経営方針についてご紹介しました。

相手を思いやりつつ、改革するべき部分を明確にして一つひとつ確実に実行していく姿には学べることが多くあります。

街中でドムドムハンバーガーを見つけた際には、ぜひ召し上がってみてはいかがでしょうか。
今後の活躍も楽しみです。