下河原忠道さんは、介護業界では話題になっている若手社長です。銀木犀という介護施設を首都圏で9カ所、グループホームを合わせると11カ所経営しており、認知症疑似体験のVR開発などにも着手しています。
高齢者介護施設の株式会社シルバーウッドを経営する下河原忠道さんは、稀有な家庭環境に育ち、ユニークで優秀な家族の中で育ちました。そうした生育環境が彼のビジネスや成功にも結び付けたといえるでしょう。具体的にどのような家庭環境であったか、学歴や経歴、世間のSNSでの噂、ビジネス内容に年収や評判についてまでご紹介していきましょう。
下河原忠道のプロフィール
下河原忠道さんは、介護業界に新たな風を吹き込んだ風雲児としても名高い人物です。このようなビジネスを展開していったきっかけは、育ってきた環境や学生時代の経験などが何か関連しているのかもしれません。
まずはプロフィールを紹介します。
プロフィール
- 本名:下河原 忠道(しもがわら ただみち)
- 出身:東京都
- 生年月日:1971年
下河原忠道の生い立ち
1971年東京都出身の下河原忠道さんは、とある経営者の家庭に長男として生を受けました。父は年商30億ともそれ以上ともいえる鉄鋼や鋼板などを扱う巨大企業の社長であり、何不自由のない生活を送っていました。
下河原忠道さんの後には、弟さん二人と妹さんが一人生まれています。高校卒業までは裕福で、自由気ままに生活していました。高校卒業後には、海外などを放浪の旅に出るなど、なんの疑問も持たず青春を謳歌していたそうです。
そんなある日、経営者の父からいつまでそんな呑気な生活をしているのだと喝を入れられてしまいます。下河原忠道さんは長男ということもあり、父の事業を引き継ぐことを考えましたが、当時は鋼板などの価格が軒並み下落していて事業に将来性を感じられませんでした。
そんなとき、ある人から父が扱う薄型鋼板が建築材として使えるのではないかと聞きつけ、一念発起します。アメリカに留学し、薄型鋼板を建材に用いる論理や工法を学ぼうとしました。下河原忠道さんはオレンジコーストカレッジに入学を果たし、本格的にスチールフレーミングの工法や理論を学びます。
日本へ帰国後も、父の事業のために真摯に薄型鋼板に向き合い、市場が厳しい中どのようにして売っていくか、何か応用できる分野はないかと模索し行動したことが今日の成功にも結び付いているといえます。
下河原忠道さんの若い頃の経歴をたどると、今ある現状に抗うことなく素直に受け入れ受け止めて、真摯に向かい探求心を持つことがビジネスで成功を収めるヒントかもしれません。ビジネスには素直さや柔軟さ、行動力も大切であることをここから教えられます。
そして日本へ帰国後、父の会社株式会社京江シャーリングを引き継いで本格的に仕事を始めます。
下河原忠道の経歴
ここからはもう少し詳しく経歴を見ていきましょう。
アメリカ留学から帰国後、鋼板をベースに事業規模を拡大
下河原忠道さんの経歴で着目しなければいけないのが、アメリカ留学後と帰国後の彼の行動です。父親の薄型鋼板を確実に建築材として活用するために高度なアメリカの大学に入学し、そこで徹底したスチールフレーミング工法と理論を学ぶという行動力にただただ驚かされ、尊敬の念を抱かざるを得ません。
こうした理論や工法など机上の空論だけをもって日本に帰国するのではなく、実際にアメリカの現地企業でスチールフレーミング工法を生かし工員として働く行動に脱帽します。下河原忠道さんは裕福なおぼっちゃまというだけではなく、きちんと将来を見据え今自分が何をすべきかを自己分析し、行動しているところに我々は学ぶことがあると言えるでしょう。
さらに、日本へ帰国後も単に父親の鋼板を売りさばけばいいという考えではなく、さらにその事業を発展させ、自ら平屋建て住宅や二階建て住宅の受注に始まり、ファミレス建築まで請け負うというその才覚に驚かされます。鋼板をベースに事業を展開できる業界にも介入し、事業規模を拡大してきました。
単にビジネスチャンスのあるジャンルに首を突っ込んだだけでは、これだけの信頼と実績を上げることはできません。やはりアメリカで工員として実際に汗水を垂らして働いた現場を知る人間が、顧客と直に話すことで説得力があり信頼関係も生まれてくるのでしょう。下河原忠道さんには行動力の他、どんな世界でも生き抜ける人間力も備わっているように思われます。そうした人間力が魅力となって人々を惹きつけるのかもしれません。
脱お世話型の介護施設を開業
下河原忠道さんの経歴でもう一つ着目しなければいけないのが、2000年に株式会社シルバーウッドを立ち上げたときです。株式会社シルバーウッドの立ち上げは、父の事業を受け継ぎ、高齢者賃貸住宅建設を請け負ったときにひらめいた事業だといわれています。
どんな人でも人生の終盤を迎え、心身ともに快適で心地の良い終の棲家は必要になってきます。そこに下河原忠道さんは非常に可能性を感じ、これから伸びていく事業であると確信し介護業界に参入していったわけです。
ただ、現状多くの介護施設では過剰なお世話が見られるのがほとんどです。施設を完全バリアフリーにし、転倒などの可能性があるものをすべて排除し、高齢者はただ車いすに座っているだけでよいとする介護施設が目立ちます。これでは、ますます痴呆が進むばかりであり、けっして高齢者にとって快適で人間らしい生活が出来るものではないと下河原忠道さんは常々思っていました。むしろ高齢者にとっては、配膳や入浴、洗濯や食器類を洗うという日々の何気ないことに生きる喜びを感じ、それが人生を謳歌することになるのではないかと考え、下河原忠道さんは脱お世話型の介護施設を開業します。
下河原忠道さんの読みはまさに的中し、彼の介護施設で生活する高齢者は皆生き生きしています。そして、志向や行動も前向きになり、入居者自らが施設に併設されている駄菓子屋で販売なども行っています。
既成概念や当たり前ということを疑って、逆の発想をしてみることもビジネスには大切なことなのかもしれません。
下河原忠道の展開している事業・サービス
下河原忠道さんは、当初父が経営する株式会社京江シャーリングの後継者となって、父の仕事を引き継ぎました。同時に、薄型鋼板を住宅や建築材に応用し、それを販売し販路を拡大しようと考えました。下河原忠道さんの読みは見事的中し、会社の規模は拡大していきました。
アメリカの大学に留学中、スチールフレーミング工法を実践している企業にも実際に勤めてみて現場で実際に作業員として働きました。その現場を確実に知ることで、自社の薄型鋼板が実際に何に使えてどういったメリットがあるのかをダイレクトに顧客に伝えることができます。
現場を直に知っていることで営業する際にも説得力があり、顧客からの信頼も得て販路を拡大していったともいえます。こうして、薄型鋼板を売ったり、次第に平屋建てや二階建て住宅、コンビニエンスストアやファミレスなどの建築を受注したりするようになります。
下河原忠道さんは高齢者向け賃貸住宅を受注した際に、高齢者ビジネスはこれからますます可能性があると確信し2000年に新たに株式会社シルバーウッドを立ち上げたのです。
現在、下河原忠道さんは父親から引き継いだ鋼板などの事業を始め、介護施設やデイサービス、グループホームなどの事業やサービスも展開している状態です。さらには、高齢者の認知症問題に着目し、認知症を疑似体験できるVRの開発事業も展開しています。これは非常に画期的で、業界でも異端児とも呼ばれているほどです。
下河原忠道の推定年収
前述の通り、下河原忠道さんは非常にやり手で敏腕社長の名を欲しいままにしています。父から引き継いだ鋼板の会社である株式会社京江シャーリングの経営に、自身の介護施設事業である株式会社シルバーウッドの経営と、多くの人が知る限りでも二社のトップに君臨しています。
多くの人が推定年収は何億、はたまた何十億と推測するのも無理はありません。しかしながら下河原忠道さんのプライベートな行動や動向を見る限り、それほど華美でゴージャスな生活をしているとは言い難いです。
下河原忠道さんの奥様との結婚記念日十周年も、高級ホテルの貸し切りでパーティーしたり、世界一周クルーズをしたりといったゴージャスなものではありませんでした。下河原忠道さんが経営する介護施設で入居者さんに囲まれて、ささやかにケーキを囲みお祝いしたようで、非常に庶民的で好感の持てるものでした。
下河原忠道さんが高齢者施設を立ち上げたときに、人が人らしく過ごせ何気ない日常に幸せがあると信じて疑わなかったといいます。自身の生活も最低限のお金があって愛する人とともに時間が過ごせ、当たり前の日常で当たり前のことに喜びを感じることができれば十分という価値観を持っているのかもしれません。
下河原忠道さんの介護施設の入所料金も相場の平均的な値段設定であって、それほど莫大な収益があるわけではありません。このことから、推定年収は3,000万円程度と推測されているのです。
下河原忠道の噂や評判
下河原忠道さんは、介護業界や鋼板業界では成功を収めた立派な経営者です。介護事業も順調で、プライベートでは奥様がいてお子さまもいるようで、成功を絵に描いたような状態であるのは紛れもない事実です。
それゆえ、SNSでは嫉妬やジェラシー、やっかみなども多くひどい噂や書き込みが多いのも事実です。しかし、アンチがいるということは、それだけ下河原忠道さんのビジネスやプライベート、動向などに多くの人が注目している証であり、やはり成功者の名にふさわしい人であるのは間違いありません。
SNSでは誹謗中傷として、介護事業など偽善者だとか、高齢者を手玉に取って金儲けする悪い奴だとの書き込みもあります。一方で、高齢者に向けた高齢者目線の介護施設を開業されて非常に心優しい人だとする評価が圧倒的に多いです。
下河原忠道さんの介護施設はバリアフリーでなく、障害物もある程度あって一見すると高齢者思いではないように映ります。しかし、ある程度の障害があること、バリアフリーでないことで高齢者は危険を察知しそれに対処するように脳をフル回転させ、行動します。これは、痴呆症の進行を食い止めたり、痴呆症の発症を極力抑えたりすることに有効であり、本当に高齢者目線の優しい介護施設なのです。
認知症を少しでも多くの人に理解してもらおうとするVRの開発も、下河原忠道さんのやさしさが詰まっている新たな事業にほかなりません。下河原忠道さんは本当に優しい人であるとの見方がほとんどなのです。
実の妹は歌手の華原朋美さん?!
下河原忠道さんの家族構成は前述の通り、二人の弟さんに一人の妹さんがいらっしゃいます。妹さんとは90年に大人気となり、一世を風靡した歌手の華原朋美さんです。しかしながら下河原忠道さんが妹の名前を利用して売名行為を行ったり、ビジネスに活用したりということは一切ありません。
ここまでビジネスを成功させたのも、下河原忠道さんのひたむきな努力と行動力やアイデアの賜物です。しかしながら、やっかみから妹の名前を利用してビジネスを成功させたなど心ない噂を広げる人もいます。下河原忠道さんと華原朋美さんの関係は非常に良好です。
一時期、華原朋美さんは音楽プロデューサーの小室哲哉さんと破局した時、その悲しみで心身に不調をきたすようになりました。現実逃避のために薬物に依存してしまい、ろれつが回らなくなったり、下着姿で徘徊したりするなど問題行動まで見られるようになりました。芸能界の仕事をほぼ仕事を失ってしまった妹さんの悲劇の瞬間に手を差し伸べたのが、兄である下河原忠道さんでした。
自身の介護施設やグループホームに華原朋美さんを招き、高齢者と触れ合いお世話することで彼女に自信を回復させ、社会復帰を果たさせたといわれています。下河原忠道さんは非常に兄弟思いで優しく、人が困ったときに見て見ぬふりをできない性格なのでしょう。こうしたエピソードもあって、下河原忠道さんは本当に心根の優しい人だという噂もネット上ではたくさん見ることができます。
まとめ
下河原忠道さんのビジネスで成功したのは、若いころから探求心を持ち即行動に移したことをはじめ、柔軟性や優しい心があってこそだといえるでしょう。人生に抗うことなく流れのまま現実を受け入れて、その環境で精一杯努力するひたむきな姿勢も、下河原忠道さんを今日の成功に結び付いたといえます。
優しい心で開発された認知症のVRは、家族や介護業界の枠を超え医療やあらゆる分野で応用され、相互理解にもつながっていくことでしょう。