大胡田誠さんは、全盲の弁護士です。
「目が見えないからこそ見えてくるものがある」と、一人ひとりの依頼者に寄り添う姿勢が評判で、著書「全盲の僕が弁護士になった理由」は松坂桃李さん主演でドラマ化されました。
今回は大胡田誠さんのプロフィールや経歴とともに、司法試験の勉強法や、全盲弁護士の仕事術などをご紹介します。
・大胡田誠のプロフィールと経歴
・家族構成や現在
・司法試験の勉強法
・全盲弁護士の仕事術
・目が見えないからこそ見えてくるものとは
大胡田誠のプロフィール
大胡田誠さんは静岡県で生まれ育ちました。現在は東京都港区で「おおごだ法律事務所」を開業しています。
- 名前:大胡田 誠(おおごだ まこと)
- 生年月日:1977年6月17日(現在46歳)
- 出身地:静岡県中伊豆町(現伊豆市)
- 学歴:慶應義塾大学院法務研究科修了
- 職業:弁護士、キャリアコンサルタント
- 趣味:マラソン
大胡田誠の経歴
大胡田誠さんの経歴をご紹介します。
幼少期
大胡田誠さんは、高校生の同級生だった両親のもとに長男として生まれました。
両親が大胡田誠さんの目の異常に気が付いたのは生後半年ほどの時でした。目の焦点が定まらずに瞳が揺れ動き、黒目が次第に大きくなっていき、外に連れ出すと、しきりに眩しがって日光を極端に嫌がるようになります。心配になった両親が病院に連れて行ったところ「先天性緑内障」と診断を受けました。先天性緑内障は、新生児の2〜3万人に1人の確率で見られる遺伝性の病気でしたが、両親ともに親戚に目の悪い人はおらず、寝耳に水だったといいます。
視力を失った12歳
小学校入学時、大胡田誠さんの視力は0.1ほどまで下がっていました。それでも盲学校ではなく普通学級に通学し、両親が準備したお手製の拡大教科書を使用して学校生活を送っていました。
しかし、小学6年生になる頃には黒板の字も読めなくなり、卒業する頃には光を感じることも出来なくなります。
このような状況でも周囲の友人には目が見えなくなったことを伝えられずにいたそうです。その結果、周りからの目を気にするあまり、同級生とも積極的に関わることが出来ず、自分で自分を孤独へと追いやってしまいます。
親元を離れることを決意した中学時代
自宅から徒歩5分ほどの場所に沼津盲学校がありました。
しかし、目が見えていた頃の自分を知る友人たちが暮らす町で、白杖をついて歩く姿を見られることに耐えることが出来ませんでした。そのため、両親を説得し東京の筑波大学付属盲学校(現筑波大学附属視覚特別支援学校)の中学部へ進学します。
中学2年生の夏休み、ある1冊の本に出会います。それは、1981年に日本で初めて点字で司法試験に合格した竹下義樹さんの手記『ぶつかって、ぶつかって』でした。失明したことで自分の未来まで失われたように感じていた大胡田誠さんは、衝撃を受けます。
諦めさえしなければ、健常者と肩を並べて生きていくどころか、自分の力で人を助けることができると思い、弁護士を目指す決意をします。
数々の困難を乗り越えた大学時代
弁護士を目指す決意をした大胡田誠さんは、司法試験の合格者が多い大学への入学を目標に歩み始めますが、ここから数々の困難を経験していくことになります。
まず、筑波大付属盲学校では、全国模試でC判定以上の結果を出さないと、志望大学の受験を認めてくれませんでした。これは、大勢のボランティアによって試験問題を点訳する必要があるためです。
そこで、受験科目を英語、小論文、世界史の3科目に絞って勉強を重ねました。しかし、いざ願書を提出すると、全盲の学生を拒否する大学が相次ぎました。
その理由は主に2つで、1つめは、点字による試験を実施した前例がないこと。2つめは、視覚障がい者の受け入れ態勢ができていないことでした。
受験を拒否した大学には、全国に名の知れた大学がいくつもあり、チャンスすら与えてもらえないことに強い憤りを感じました。
そんな受験拒否の悔しさをバネに1年浪人して猛勉強を続け、1997年に慶應義塾大学法学部に見事合格します。
しかし、合格後にも困難が大胡田誠さんを襲います。入学の日が迫っても、住む場所が見つからなかったのです。様々な学生会館に入居の申し込みをするも、ほとんどの学生会館から「安全確保ができない」を理由に断られました。結局、大学から電車で1時間かかる学生会館に入居できましたが、入学後も視覚障がいを理由に、ある科目の履修を断られることもあったといいます。
司法試験挑戦時代と現在
大胡田誠さんが司法試験の勉強を始めたのは1998年、大学2年生の時です。また、初めて司法試験を受験したのは2000年、大学4年生の時でした。そして司法試験に合格したのは2006年、29歳の時です。実に8年の苦学を経ての合格通知でした。
大学を卒業して3年間は沼津の実家に戻って浪人生活を送ります。その後、2004年に慶應義塾大学大学院法務研究科(法科大学院)に入学するために再び上京。2006年3月に法科大学院を卒業し、その年の9月21日に司法試験に合格しました。
約1年間の司法修習を経て、2007年12月に渋谷シビック法律事務所に入所しました。その後、2013年に弁護士を目指すきっかけをくれた竹下義樹さんが運営するつくし総合法律事務所に入所。
2019年におおごだ法律事務所を独立開業し、現在も弁護士として活動しています。
大胡田誠の家族構成は?妻も全盲って本当?
大胡田誠さんの家族構成は、妻の亜矢子さん、長女のこころちゃん、長男の響くん、盲導犬の4人+1匹家族です。
妻の亜矢子さんは、同じく全盲です。未熟児網膜症が原因で、生まれた時から目が見えない状態でした。県立沼津盲学校の小学校に通い、中学校の時に「もっといろんな人に会いたい」との思いから単身上京して筑波大付属盲学校へ入学します。その後、武蔵野音大声楽科を卒業。現在は、旧姓の大石亜矢子という名前でソプラノ歌手としてソロによる歌唱の他、ピアノの弾き語りによる演奏活動を行っています。
2人は5年間の交際を経て2010年に入籍。2011年に長女のこころちゃん、2013年に長男の響くんが誕生しました。
大胡田誠が全盲で司法試験に合格した勉強法とは
大胡田誠さんは合計8年間、司法試験の勉強期間を過ごしています。
前半は予備校に通い、後半は法科大学院(ロースクール)に通いました。
ここでは大胡田誠さんの司法試験の勉強法を解説します。
また、「もうやめよう…」と心が折れかけた時に奮起した出来事もご紹介します。
予備校時代
大胡田さんは1998年の大学2年生の時に、教材の電子データ提供を快諾してくれた司法試験予備校「伊藤塾」を活用して勉強を開始しました。
勉強を続ける中で、自分なりの勉強法を確立させていきます。
法律の条文は、目で読めないため、音声をパソコンに読み上げさせ、音声の後に続いて自分も音読し、耳と口を使って覚えていきました。
また、何冊にもなる参考書は「これ1つで全てがわかる」という自分オリジナルの教科書を作成しました。重要な箇所には、文章の前後に「!」を打つことで、マーカーの代わりにしました。本文の途中にメモを残したい場合は、改行して行の先頭に「※」を打ち、テキストの本文と自分のメモを区別するようにしました。
このように自分なりの勉強方法を編み出して、挑戦を続けるも、4回目の結果も残念ながら不合格となります。
「もうだめだ」と思った時の母の言葉
4回目の受験に失敗した時、大胡田誠さんは両親を目の前にして「もうやめるべきかもしれない」と口にしました。この時にお母さんに言われた言葉を、大胡田さんは今でも人生の指針にしています。
お母さんは、大胡田さんの言葉に対して良いとも悪いとも言わず「人生で迷ったときには、自分の心が『温かい』と思う方を選びなさい」と言いました。損か得か、周りからどう思われているのかではなく、「自分の心」が何を欲しているのか。答えはそこにしかないと言われた気がしました。
そこで、まだ諦めたくないという想いを感じ、挑戦を続けることを決意します。
法科大学院(ロースクール)時代
母の言葉を受けて司法試験への挑戦を続けることを決意した頃、制度改革の一環で司法試験の仕組みが大幅に変更されました。大胡田誠さんは、この新制度を利用して受験するために法科大学院への進学を決意します。
ただし、授業のしんどさは想像以上のものでした。法科大学院での授業は、実際の事件をモチーフにし、それを法律家としてどう解決するかをトレーニングするような内容です。
週15〜20コマの授業がありますが、それぞれ4〜5時間の予習を前提としており、時には数100ページの資料を読み込む必要もありました。
このような状況でも何とか授業についていけたのは、同じ目標に向かって挑戦する友と、資料集めや文献を対面朗読してくれるボランティアを申し出てくれる仲間がいたことでした。孤独を感じた期間が長かったからこそ、自分を理解し、支えてくれる友人の存在のありがたさを強く感じ、努力を重ねていきます。
そして法科大学院を卒業した年の試験で合格。合格がわかった瞬間は、それまでの8年の思いが涙となって溢れ出しました。
全盲弁護士の仕事術
この章では全盲の大胡田誠さんが、どのようにして弁護士の仕事を行っているのかをご紹介します。
弁護士の仕事をしていく中で、必要不可欠なものが「アシスタント」と「IT機器」の2つです。
アシスタントと2人3脚
アシスタントは、様々な場面で大胡田誠さんの目の役割となる存在です。
書類を読んでもらったり、事務書類を書いてもらったり、初めて行く場所には同伴してもらったりもします。また、相談者との面談にも同席してもらい、面談時以外の様子や細かな仕草などを伝えてもらうことで、大胡田誠さんが気付けない視覚情報を収集してもらいます。
さらに、裁判などの資料に添付されている写真や図面などについても口頭で説明してもらい、その内容を頭に入れて法廷に臨みます。
大胡田誠さんは、アシスタントの方に足を向けて寝れないと語ります。
IT機器を駆使
弁護士の仕事は、膨大な資料との闘いでもあります。大胡田誠さんは、目で文字が読めないため、代わりに指と耳で文字を読みます。
そこで必要になってくるのが、点字電子手帳や画面読み上げソフトなどのIT機器です。点字電子手帳は、指で文字を読むためのツールです。
筆箱ほどの大きさで、大量の点字データを記憶するメモリーが入っています。点字電子手帳本体で文字を入力するのはもちろんのこと、USBでパソコンと繋ぐことで外部から点字データを読み込んで読むことも可能です。
画面読み上げソフトは、耳で文字を読むためのツールです。紙に印刷された文章も、スキャナーで取り込み、文字データに変換することで文章として読み上げることが可能になります。
目が見えないからこそ見えてくる依頼者の心の中
大胡田誠さんは目が見えないため、相手と話をする時に表情から気持ちや考えを汲み取ることができません。だからこそ、かえって相手の心の中がよく見えることがあると語ります。
「目は口ほどにものを言う」という言葉がありますが、大胡田さんは「口は目ほどにものを言う」と感じることが多いといいます。表情や見た目を繕うことができても、「声」まで繕うことは難しいからです。
コミュニケーションにおいて、視覚情報が55%、聴覚情報が38%、言語情報が7%の比率で影響を与えるという「メラビアンの法則」があります。
多くの人は目で見た情報から相手のことを判断しますが、声のトーンや使う言葉から相手の心を読むことで、違った視点を持つことができるのです。
まとめ
当記事では、全盲の弁護士として活躍する大胡田誠さんについてご紹介しました。
大胡田誠さんは、困難に遭った時、「できない理由」を探すのではなく、「できる方法」を探すことが人生の分かれ目だと語ります。どんな困難にも立ち向かって生きる姿に、「自分も負けずに立ち直ろう」と考えを改めた依頼者も多いといいます。
大胡田さんの生き方や考え方からは、前向きに生きていくヒントが多くありました。