荻野みどりさんとはいったいどんな人物なのか、気になりますよね。荻野みどりさんは、有機ココナッツオイルを中心にオーガニック食品の製造・卸業をしている「株式会社ブラウンシュガー1ST」の創業者です。
荻野みどりさんは、フィリピンやタイからココナッツオイルを輸入し、日本でのココナッツオイルブームの火付け役となりました。日本全国の大きなスーパーには荻野みどりさんが手がけたココナッツオイルが陳列されています。
今でこそココナッツオイルにアイデンティティを感じるほど入れ込んでいる荻野みどりさんですが、以前は20社以上の会社を渡り歩き、4つの大学に通うなど、異端な経歴の持ち主でもあります。
本記事では、本人も納得のカオスな20代から30代ですべてを手に入れるまでの荻野みどりさんの経歴や年収をご紹介します。
荻野みどりのプロフィール
まずは荻野みどりさんのプロフィールを見ていきます。
プロフィール
- 氏名:荻野みどり(おぎの みどり)
- 生年月日:1982年(昭和57年)6月生まれ(39歳)
- 出身:福岡県久留米市
- SNS:YouTube0.7万人、Instagram0.9万人 ※2022年5月1時点
荻野みどりさんは、我が子に食べさせたいかどうか?を基準に食材を厳選し、安心と安全にこだわったオーガニック食品を取り扱う会社「株式会社ブラウンシュガー1ST」の創業者です。
2011年に生まれた娘の湿疹や便秘で、食の大切さを痛感します。安心と美味しさが両立する食品を目指してお菓子づくりからスタートした企業です。今では荻野みどりさんが手がけたココナッツオイルは全国のスーパーに並び、年商7億円の規模にまで成長しています。
事業が安定してからは、創業当初から手伝ってくれていた母親とスパイスのお店をオープンします。スパイスを組み合わせたお酒をイギリスで蒸留し、英国王室御用達商品にまで成長させます。商売の力でフードロスを防ぐことを目標にした新プロジェクトの発足、起業家のためのオンライン朝活など、食品を中心に様々なプロジェクトを展開しています。
略歴
- 2001年 アパレル会社入社
- 2002年 上京
- 2004年 放送大学入学
- 2005年 駒澤大学入学
- 2006年 慶應義塾大学入学
- 2007年 結婚
- 2011年 長女出産
- 2011年 ブラウンシュガー1ST立ち上げ
- 2013年 ブラウンシュガー1ST法人化
- 2018年 Bonyu.lab(母乳ラボ)設立
- 2022年 アメリカ・ニューヨークで会社設立
荻野みどりの経歴
ここからは、さらに荻野みどりさんの経歴について詳しく見ていきましょう。
両親に嘘をつき上京
福岡県の久留米市で、会社員の父親と専業主婦の母親の間に生まれた荻野みどりさん。女は愛嬌と言われ続けていたものの、もっと自由に生きたいと想い、留学を志願します。ですが、保守的な考えの強い両親からは反対され、なくなくではありますが、好きなファッションが学べる被服科の短大へ進学します。
それでも諦められない荻野みどりさんは、なんとか両親を説得して1ヶ月のニューヨーク留学に成功します。1日も無駄にできないと思った荻野みどりさんは、学業以外にもインターンとして企業で働くなど積極的に行動し、世界の広さに衝撃を受けました。
日本に戻ったときには卒業製作に入る時期でしたが、そんなことしている場合ではないと思い、短大を中退しアパレル企業への就職を決意します。硬い決意と猛烈な行動力で、入社1年店長に抜擢、売上を18倍に伸ばす快挙を成し遂げます。
実績に自信をつけた荻野みどりさんは、上京を決意します。再度両親に反対されるも、旅行に行くと嘘をついて、ボストンバッグ1つで東京に向かってしまいます。東京に出てきた荻野みどりさんは、婦人服販売、ウェイトレス、外資企業で秘書、HP製作営業と数ヶ月ごとに仕事を変えて社会について学んでいきます。
転職の多い荻野みどりさんですが、一般的な多転職のイメージとは違い、アパレルで短期間に店長にのし上がるような猛烈な勢いで働き、3ヶ月ほどである程度の実績を出してしまうため、飽きたから次、という流れで転職を繰り返していきます。
上京したての頃は時給900円のバイトを掛け持ちするような生活でしたが、徐々に上昇し最高時給は1,800円になりました。成果報酬のある営業の仕事で得た歩合給も合わせると、月給で70万円近くの給与をもらっていたそうです。
気づいたときには職務経歴書が3枚分くらいになってしまうほどの経歴になっていたそうですが、十分すぎる収入を得られていたそうです。20代前半の女性の行動力とは思えない量の仕事をされていたのが伺えますね。
3年で3つの大学に通う
20歳で上京し猛烈に働いていた荻野みどりさんですが、22歳のときにもっと社会を知りたいと思い、放送大学に入学します。経済・経営、宇宙学から心理学まで一通りの教養を学び、社会学が一番自分にフィットすることに気が付きました。
荻野みどりさんは、より専門的に学ぼうと1年後の23歳のときに社会人入試で駒澤大学社会学部へ入学します。社会全体の課題をあぶり出す社会学を通して、より大きな視点、俯瞰してものごとを見る力を養っていったそうです。
また、大学に行きながら国連の広報センターでインターンとして活動されていた荻野みどりさん。国際政治について深く知るにつれ、社会学では問題を発見することができるけど規模が大きく直接的な解決ができないことに気づき、課題解決をするには政治についてより専門的に学ぶ必要があると考えるようになります。すると、また1年後の24歳のときには慶應義塾大学の通信教育課程で国際政治について学ぶようになったのだそうです。
自身の興味がおもむくままに、3年で3つの大学に通ってしまいました。常識では中々考えられない学び方ですよね。ただし、短大以外の3つの大学の学費は全部荻野みどりさんが自分で出しています。
大学に通いながら医療機器メーカーで派遣社員、カフェでアルバイト、フリーでアパレルブランドの立ち上げ、工場作業など相変わらず仕事を掛け持ちしながら猛烈に働いていたそうです。
仕事を掛け持ちするだけでも体力的にきつそうですが、その上大学で講義を受けているのですから、バイタリティは並大抵ではありません。このとき荻野みどりさんはまだ25歳です。この先15年分くらいの時間を凝縮したような濃すぎる経験を、ほんの数年で体験してしまいました。
娘の体調不良をきっかけに食事の大切さを痛感
荻野みどりさんは25歳のときに、働いていた会社の人と結婚をします。旦那さんとしては、荻野みどりさんには家庭に入り、ゆっくり過ごしてほしいと思っていたようですが、荻野みどりさんは動いていないと落ち着かない性格です。結婚して一時的に休んでいた時期があるそうですが、またすぐに猛烈に働き始めます。
好きだったアパレル関係を中心に、アクセサリーのデザイン・販売やヨガウェアのブランド立ち上げなど、様々な仕事に参画していきます。前述の通り、職務経歴書は3枚分になるほどの状態で、一般企業の選考には通らないことが多かったようで、基本的にはフリーで業務委託を受けるような形で仕事をこなしていたそうです。
猛烈に働き続けてきた荻野みどりさんですが、2011年29歳のときに出産したためしばしの休憩に入ります。ここでようやく「ココナッツオイル」との出会いがあるのです。
生後4ヶ月の娘さんには母乳で食事を与えていたのですが、湿疹や便秘を発症し、自身の食事が問題であったことに気づきます。出産前は自分の食事にも気を遣っていたそうですが、出産後は気が緩み油ものを多く摂取してしまっていたそうです。
「食事が体を作る」ということを痛感した荻野みどりさんは、地元で料理教室を長年開いていた母親の協力の元、「我が子に食べさせたい」と思えるような安全で美味しいお菓子づくりを始めます。
資金20万円から年商5億円
子供が口にしても大丈夫なような厳選素材を使い、地元の福岡県に住むお母さんにお菓子づくりをしてもらい、ウェブショップや東京のファーマーズマーケットでの販売を始めました。
ただし、当時の旦那さんとの約束で20万円の資金を用意して、資金がなくなったらゲームオーバーにしようと決めていたそうです。確かに終わりを決めてのぞんだ方が、ダメになったときにズルズルと引きずらずにスパッと辞められそうですよね。
そうして始めたお菓子販売ですが、はじめは20万円でお菓子を作り、20万円で売れるという感じでトントンの状態だったそうです。お客さんに笑顔になってもらえるし楽しいから、という理由でトントンでも続けていった荻野みどりさんですが、2012年に転機が訪れます。
日本は国内の酪農産業を守る目的でバターの輸入を規制しているのですが、2011年の震災以降、深刻なバター不足に陥っていたそうです。そこで荻野みどりさんが代替品として目をつけたのがココナッツオイルです。
原産地であるタイやフィリピンからココナッツオイルを輸入して、日本で販売する輸入業を始めました。ほどなくして人気が爆発し、ココナッツオイルが日本でブームになりました。現在では日本全国4000店のスーパーに商品が並ぶようになり、2011年20万円で創業した「ブラウンシュガー1ST」は、2015年には年商5億円の起業にまで成長を遂げました。
横展開で世界進出
「ブラウンシュガー1ST」でのイチオシ方品は、エクストラバージンココナッツオイルとオーガニックアップルソースです。コーヒーやオイルバームなどに横展開した商品も登場しています。他にも、お母さんとスパイスの店舗をつくり、そのスパイスを使った英国産のお酒オーガニック・ジンが、現地で賞を獲得する人気商品になっています。
荻野みどりの年収
荻野みどりさんの年収は、5,000万円ほどと予想されます。年商7億円規模のオーナーですから、売上の10%ほどを報酬として取っていてもおかしくはありません。
ですが、現在アメリカのナスダックへの株式上場を目指して活動もしているそうで、社内整備や事業成長ができる体制を整えることも大切でしょうから、会社の成長を阻害するような大きな報酬を取っていない可能性もあるかもしれません。それでも生活には困らないほどの収入・資産があることには違いありません。
荻野みどりの展開している事業
荻野みどりさんが展開している事業をご紹介します。
ブラウンシュガー1ST
「安心して子供に美味しい食品を届けたい」という思いから、ココナッツオイルを中心としたオーガニック食品を製造・販売しています。主な商品は、有機ココナッツオイル、有機ココナッツシュガー、有機レモンスカッシュ、有機アップルソースです。
「我が子に食べさせたいか」というママの目線をコンセプトに、無農薬で安心して口にできるだけでなく、子供が美味しいと思える食品づくりを目指しています。
TAKECO1982
2015年に荻野みどりさんの地元である福岡県久留米市にオープンしたスパイス屋さんです。35年以上にわたり料理教室の活動を続けてきた荻野みどりさんのお母さんが選ぶ、こだわりのスパイスを堪能できるレシピも紹介されています。
ブラウンシュガー1ST.AL
英国の酒造メーカーの日本総代理店を務める会社です。ブラウンシュガー1STが手がける14種類のスパイスの入ったオーガニック・ジンは、英国で賞を受賞するなどクオリティの高さが評価されています。
食べ物を棄てない日本計画
日本のフードロスを商売でなくしていくための活動を推し進めるプロジェクトです。例えば賞味期限の近い食品を回収し、クッキーなどに再加工して販売することで、廃棄処分になってしまうのを防ぎます。公式サイトでは、フードロスを解決するためのアイデアを募集しています。
KICK OFF MONDAYS
毎週月曜日に起業家のためのオンライン朝活を開催しています。ブランディングや資金調達の方法、海外進出をする際のポイントなど、自身の経験をもとに起業に関する質問に荻野みどりさんが直接答えます。
BROWN SUGAR 1ST.NYC,INC
アメリカ・ニューヨークに設立したブラウンシュガーの海外支店です。ブラウンシュガーの海外拠点及びナスダック上場を目指すスタート地点でもあります。
まとめ
ココナッツオイルブームの火付け役で、全国4,000店舗にココナッツオイル製品を卸している「株式会社ブラウンシュガー1ST」の代表をされている荻野みどりさんをご紹介しました。
今後の活躍にも注目です!